小松成美が迫る頂上の彼方

第二部

声援、重圧、責任感、 プレッシャーこそ成長への鍵

元水泳日本代表

松田丈志

写真/阿部拓歩 動画/ロックハーツ スタイリスト(松田丈志)/中西ナオ 衣装協力:ジャケット82,000円(ディーゼル/ディーゼル ジャパン)、パンツ30,000円(リプレイ/ファッションボックスジャパン)、その他スタイリスト私物 | 2017.02.10 | 2017.02.17

松田丈志氏を迎えての連載第二部。4度のオリンピックで、4つのメダルを獲得した松田氏が、重圧、プレッシャーについて語ります。

元水泳日本代表  松田丈志

小松 これまで松田さんが逃れようのないプレッシャーに立ち向かっている姿を取材してきました。改めて伺いますが、緊張感やプレッシャーは、自己を成長させ次なるフェーズに進み行くために必要なものなのでしょうか?

松田 絶対に必要です。自分自身に刺激や負荷をかけ、それを乗り越えることで強くなり、成長する。それは現役中に学んだことでもあり、今後も続けていきたいと思っている部分です。

小松 緊張や重圧を手放した人間に進化はない、と?

松田 その通りです。プレッシャーこそ大きなエネルギーになります。プレッシャー=ストレスと考える人もいると思いますが、僕はプレッシャーを「自己への期待」と捉えています。地元のみなさん、スポンサーの皆さん、水泳関係者、そして日本の皆さんが渾身で声援を送り、メダルや記録を待ち望んでいる。そうした熱気は何物にも代えがたい“推進力”になる。自分が懸命に泳ぎ力を出し切れた刹那の感激は、コーチや家族のものであり、その喜びが応援してくれる皆さんにも一瞬で広がっていく。そうした感情のつながりこそ、信頼となります。信頼を得た自分は、次のレースでも自分と応援してくれる方々に感動を与えたいと願います。

小松 それは「途轍もない責任」ともいえますね。

松田 重圧は1人で受け止めることもできますが、責任は向き合う相手に対してのものであり、1人の問題では済みません。オリンピックは「責任」を背負って戦う価値のある舞台なのです。責任を果たせた喜びは決して自分だけのものではありません。その大きな喜びをまた味わいたくて、ずっとオリンピックと向き合ってきましたから。
 

それは「途轍もない責任」ともいえますね(小松)

小松成美(こまつなるみ) ノンフィクション作家。神奈川県横浜市生まれ。1982年毎日広告社へ入社。1989年より執筆活動を開始。代表作に『熱狂宣言』『中田英寿 鼓動』(幻冬舎)『それってキセキ GReeeeNの物語』(角川書店)『イチロー・オン・イチロー ~Interview Special Edition~』(新潮社)『横綱白鵬 試練の山を越えて はるかな頂へ』(学研教育出版)『五郎丸日記』(実業之日本社)ほか多数

小松 オリンピックには金、銀、銅の三種類のメダルがあります。どんなに良い記録でも4位なら表彰台に立つことはできない。大衆は、メダルをとるか否かに注目します。松田さん自身、オリンピックのメダルをどうとらえていますか。

松田 僕は自由形とバタフライを競技種目にしていましたが、10代の頃は特に「自由形で頑張ることに価値がある」と思っていました。世界との差が大きい自由形で決勝レースに出場することを目標にしていたんです。ところが、そんなことは一切関係なく、メダルを取ることこそがオリンピックの目的のすべてなのだとアテネ五輪で学びます。残酷ですが、3位と4位はつまり天国と地獄です。3位と4位の差がどんなに小さくても、それは歴然と世界を分ける境界線なのです。

小松 そのことも受け入れてオリンピックを戦っていたのですね。

松田 受け入れるだけでなく使命だと胸に刻んでいました。スポーツは己を見つめ、時には「頑張った」という実感をもてる素晴らしい表現です。しかし、オリンピックは違います。価値観が明快です。メダルか否か。そこに誰もが注目するし、だからこそドラマが生まれます。オリンピックではメダルを取る者が勝者であり、金メダリストが真の王者です。アテネの後、北京、ロンドン、リオと戦って銀が1つ、銅が3つの僕は「真の王者」にはなれかった。この悔しさを僕は胸に秘めて生きていくことになります。メダルには、それだけの価値があるのだと思います。

小松 リオでは萩野公介選手(400m個人メドレー)と金森理絵選手(200m平泳ぎ)が新たな王者になりました。

松田 彼らは素晴らしいスイマーであり、リーダーでした。キャプテンが金藤理絵選手、副キャプテンが萩野公介選手です。最年長の僕は後方支援でした。チームというものは、不思議なもので「誰かが率いてくれる」「他の人がやってくれる」と、他人任せになった瞬間にタガが緩み、停滞します。時には後退することすらある。依存心とは恐ろしいもので、どんなに強固なチームであっても「結局、誰も、何も、やっていなかった……」という状況を引き起こすんですよ。それぞれが自分の役目を理解し全うしたときに、集団の力は何倍にもなり、前に進む勢いも強くなります。リオ五輪のトビウオジャパンは、リーダーが役目を果たし、各々がその姿に呼応して自分の役目を果たすという素晴らしいチームでした。

小松 水泳という競技は、たとえリレーであっても泳いでいる間はたった1人。まさに個人競技の最たるものですよね。けれど、松田さんは、いつも水泳代表はチームで戦っていると仰います。

松田 1人っきりでレースに臨むからこそ、その舞台に立つまでのサポートや周りとの関係が大事なんです。実際は自分だけで泳ぐのであっても、「自分の周りにはたくさんの人がいる!」と思って泳げるかどうかで、結果はまったく違ったものになります。自分がチームメイトに与える影響があり、もちろんその逆もあって、「日本代表として選手全員で戦っているんだ」という気持ちが、限界の壁を越えるための鍵ですね。
 

「自分の周りにはたくさんの人がいる!」と思って泳げるか(松田)

2012年のロンドン五輪、男子200mバタフライでは銅メダルを獲得。左は久世由美子コーチ。PHOTO:KISHIMOTO

小松 水泳という競技は、たとえリレーであっても泳いでいる間はたった1人。まさに個人競技の最たるものですよね。けれど、松田さんは、いつも水泳代表はチームで戦っていると仰います。

松田 1人っきりでレースに臨むからこそ、その舞台に立つまでのサポートや周りとの関係が大事なんです。実際は自分だけで泳ぐのであっても、「自分の周りにはたくさんの人がいる!」と思って泳げるかどうかで、結果はまったく違ったものになります。自分がチームメイトに与える影響があり、もちろんその逆もあって、「日本代表として選手全員で戦っているんだ」という気持ちが、限界の壁を越えるための鍵ですね。

小松 あらためて、4度の大会を経験なさったわけですが、松田丈志にとってオリンピックはどのようなものでしたか?

松田 オリンピックは自己を向上させるエネルギーの源でした。オリンピックがあったおかげで水泳も頑張れたし、そこで結果を出したいという思いで自分自身を磨き、逃げずに自分と向き合ってこられた。オリンピックのおかげで成長させてもらったし、いろんな経験をさせてもらったと思っています。しかも、まだ32歳という年齢で「衰え」すら、感じる経験をさせてもらえました。

小松 トップアスリートならではの経験ですね。

松田 はい。30代でオリンピック競泳の代表になり、日々訪れる肉体の変化を詳細に感じる、という経験もなかなかないので、その間隔は大切にしたいですね。今、僕は2度目の人生を味あわせてもらっている気がしています。

小松 40代、50代と歳を重ねていくことで、また新たな価値観を得ることでしょう。現役スイマーではない精神と肉体をもって、様々な経験をするでしょうから。

松田 より刻まれる時間が尊くなるかも知れませんね。自らの輝きをいっそう増すためにも、今後も色々なことに挑戦し続けたいと思っています。

[続く]第三回/原点を忘れず、目標を明確に持つ。問われるのはやり切る強さ

SUPER CEO Back Number img/backnumber/Vol_56_1649338847.jpg

vol.56

DXに本気 カギは共創と人材育成

日本アイ・ビー・エムデジタルサービス株式会社

代表取締役社長

井上裕美

DXは日本の喫緊の課題だ。政府はデジタル庁を発足させデジタル化を推進、民間企業もIT投資の名のもとに業務のシステム化やウェブサービスへの移行に努めてきたが、依然として世界に遅れを取っている。IJDS初代社長・井上裕美氏に、日本が本質的なDXに取り組み、加速させるために何が必要か聞く。
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