小松成美が迫る頂上の彼方

第二部

トキワ荘のように才能が花開く場所をつくる

元陸上競技選手

為末 大

写真/芹澤裕介 | 2017.11.01

世界陸上で2つの銅メダルを獲得するという偉業を達成し、日本短距離界にその歴史を刻んだ為末大さん。現在は、会社をつくりビジネスで勝負を挑んでいる、と思いきや、ほかの起業家とは少し違った、思いがあるようで・・・。今回はそんな為末さんの、独自のビジョンに迫ります。

 元陸上競技選手 為末 大(ためすえ だい)

1978年広島県生まれ。男子400メートルハードルの日本記録保持者(2017年10月現在)。2001年世界陸上エドモントン大会で、スプリント種目の世界大会で日本人初となるメダル(銅メダル)を獲得。2005年の同ヘルシンキ大会でも2つ目の銅メダルを獲得。シドニー、アテネ、北京と3度のオリンピックに出場。現在は、スポーツに関する事業を請け負う株式会社侍を経営し、スポーツに関する事業など多彩な活動をするほか、一般社団法人アスリートソサエティの代表理事などを務める。主な著作に『走る哲学』(扶桑社)『諦める力』(プレジデント社)『仕事人生のリセットボタン』(筑摩書房)など。

小松  ハードル競技の選手だった為末さんがベンチャー起業家になった理由は何ですか? 世の中に対して新しいことを提案しよう、とか、イノベーターになりたい、とか、思ってのことですか?

為末  それも少しは思っているかもしれないけど、僕自身が何かをするっていうよりは誰かがそれを達成することや、それを生み出す法則に興味があります。なんで興味があるかっていうと、現役時代が寂しかったからかもしれないですね。

小松  為末さんは現役時代、コーチをつけず、企業や陸上クラブのような集団にも所属せず、たった一人で大会に出場していました。それが寂しかった?

為末  陸上に向き合い、レースで戦うためには一人じゃないと無理でした。ハードルに関して誰かに何かを押しつけられた瞬間に、僕はその関係性を維持できなくなる。でも、レース会場で、周囲に誰もいないのは僕だけで、勝っても負けても、一人で受け止めなければ成らず、それはそれは寂しい思いをしていました(笑)。だから、引退して会社を本格的に動かし始めたときには、人がいっぱいいることがうれしくて、いっぱいいるのがいいな、と考えました。会社を続けて行こうと決めたのは、人がいて楽しいから。そんな単純な理由です。

小松  現役時代の反動ですね(笑)。

為末  そうなんですよね。今は、社内外問わずいろんなプロジェクトが周りで動いていてとにかく話すことが多いので楽しいですよ。寂しさを感じることは一瞬もないですね。

小松  為末さんは34歳まで現役時代を続けましたが、2003年にプロ宣言をして以降、たった一人で競技を続けましたね。

為末  本当に(笑)。でも、僕の本質は「人は一人」なんですよね。時々、選手時代の自分が顔をのぞかせて、誰もいない世界に行きたい、とも思います。オレ、一人が好きなんだな、としみじみ考えることもある。もちろん、社長の自分がそれを打ち消しますが。

小松  為末さんの会社は、たくさんのプロジェクトを同時進行なさっていますね。

為末  そうなんですよ。僕がすべてを牽引し、展開しているように見えるかもしれないんですが、実は違ってそれぞれリーダーがやっていてその手伝いをしているイメージです。

 

既存のシステムからの脱却に挑む

小松  それこそが経営です!これまでの為末さんのイメージなら、ご自身が一つひとつに深くかかわる、という印象ですが、今はすべてを見渡している。それが楽しいんですね?

為末  うんうん。楽しいです(笑)。ひとつ、チャレンジがあるとしたら、「産業革命」のときにできたシステムからの脱却ですね。

小松  おお。でっかいテーマですね。

為末  言っていることは簡単です。例えば、世の中のほとんどの会社は出勤時間と退社時間を決めてそれを守っていますよね。食事も三食になったのは、工場での勤務時間に生活を合わせることで朝・昼・晩の3回になったのではないでしょうか。これって、19世紀のイギリスで起こった産業革命の現場、つまり工場とそこで働く人を管理するために生まれた時間の観念だと思うんです。

小松  ほー。なるほど。

為末  組織もしかり、です。社長がいて、管理職がいて、労働者がいるっていうピラミッド型のヒエラルキーは、巨大な工場には不可欠だったはずです。けれど、現代はもはやその型には当てはまらない状況も多い。ITインフラがあれば、どこにいてもコミュニケーションが取れるし、そもそも創業して資金調達しながら数年でEXITする場合は、プロジェクトと捉えた方が僕は理解しやすいんですよね。

小松  産業革命時代の時間割や上下関係は、もはや終焉を迎えていますね。

為末  すべてではないけれど、そうだと思います。19世紀から20世紀に、当たり前だと思っていた時間や集団の概念を、新しく自由に作り替える時代になった。そういう世の中の流れができているような気がするんです。

ひとつ、チャレンジがあるとしたら、「産業革命」のときにできたシステムからの脱却ですね

小松  私は自由が自分にとっての最優先事項で、所属先をもたない作家になりましたが、多くの人にとっては、所属が安心になることもありますよね。自由と引き替えに。

為末  それはありますね。誰がどこに所属して何をしているか、それがあるから働けるという人もいるでしょう。僕自身の感覚では、そうした意識が揺らいできている、と思っています。

小松  企業をとりまく、働き方は目まぐるしいスピードで変わってきていますよね。会社は自分の居場所を位置づける権力や機能ではなく、あくまでも器だと、為末さんは思いますか?

為末  はい、そう思います。そういう意味で、僕が手伝っている義足開発を行っている「株式会社Xiborg」のCEO遠藤謙のマサチューセッツ工科大学時代の話は勉強になりましたよ。マサチューセッツ工科大学は、各研究者自体は独立しているのですが、共同研究が始まったり、外部とのプロジェクトが始まったりと、所属をまたいで近い世界観の人間で何かを動かすことが自由にできるんだそうです。これは「法人」や「企業」ではなく、何か別のカテゴリーじゃないかなと思っています。

小松  人が集まり、化学反応が起きて、また新たな人が集まる。

為末  言うなれば、ホットスポットですね。

小松  おお。ホットスポット!ホットスポットとは、本来はプレートより下のアセノスフェアに生成源があると推定されるマグマの火山活動が起こる場所のことを言いますが、現代用語では、局地的に何らかの値が高かったり、局地的に何らかの活動が活発であったりする地点・場所・地域のことを指さしますね。

為末  ええ、そうですね。僕は小松さんも知っての通り広島県出身。隣が山口県でかつての長州藩なのですが、ここには松下村塾があった。松下村塾を調べていくと、あれだけの偉人をたくさん誕生させていながら、生まれた家が数百メートルしか離れていないんですよ。あんなに賢い人たちが、固まって同じ地域に生まれるはずがないですよね。僕はホットスポットが大きいんじゃないかと思っています。吉田松陰は傑出していましたが、先生だけが良かったわけでもなくて、とにかく熱量のある人間が集まって、ぎゅっと凝縮されて同じ時間を過ごし、話し合っていったことに意味があったんじゃないかと思っているんです。

小松  確かにそうですね。多くの幕末志士を輩出した松下村塾は、身分に関係なく学ぶことができた塾でした。吉田松陰が師事したのは1年ほど。その間に高杉晋作や久坂玄瑞、伊藤博文、山縣有朋らが松陰から学んでいました。これって、奇跡ですね。

為末  素晴らしい人材がある場所に集い、濃密な時間を過ごしたことで起こった化学反応だと思います。

小松  現代の松下村塾を、つまりホットスポットを為末さんがつくる?

為末  僕が中心でなくてもいいのですが、そんな風景をみんなで作りたいですね。ホットスポットつくるために人を集めるわけですが、来てくれる人たちにも来るべきメリットが必要で、そうなると居心地良い方がいいですよね。カフェの中のような緩やかな関係性になるといいと思ってるんです。

小松  組織への帰属にものすごく利益を見出していることが、エネルギーになる事があります。が、同時に、個人を追い詰めることもある。組織で働くことが苦しくなったら、個人に戻ればいいのですが、それができず、自ら人生を絶ってしまう人だっている、残念ながら。

為末  組織やシステムのために個人は犠牲になるべきなのか、個人のために組織やシステムが犠牲になるべきか、そういう思想は長い歴史のなかでせめぎ合ってきましたよね。前者の方は、問題が見えにくい。後者の方は、ヒッピー的なんだけど、それじゃあ社会が成立しないでしょ、みたいな。この間に、行いようがあると思うんですよね。僕、いつも子どもの弁当作りながら、弁当箱に合わせておかずを考えるんじゃなくて、おかず作ってから弁当箱を選びたいなって思うんです。

小松  へえ、面白い。枠をどう定めるのか、の概念ですね。

為末  おかずに合わせて毎日弁当箱、変えるなんて現実的じゃないけれど、その方が楽しいのかな、って。

小松  絶対、楽しい(笑)。そこから既成概念なんて最初からない才能が生まれそう。アマゾンやグーグルをはじめ、現代とその未来を設計している才能って、きっと最初はそんな感じですよね。人と違った、超変わった人たちが集まり、その居場所を作った。

為末  僕はそれを、原宿のオフィスでやりたいんです。原宿オフィスは、トキワ荘みたいになっているんですよ。会社は6社くらいあって、みんなそこを共同で使っています。そうすると、家賃もシェアできて安いし、いろんな情報もシェアできる。みんなでお昼食べていたり、おしゃべりしたりしながら仕事しているんですが、そこで新しいプロジェクトが生まれることもありますし。

 

環境を整えば人が集い、新しいモノが生まれる

小松  それこそ、ホットスポット。

為末  僕の強い哲学として『人は環境に影響されるから、環境を整える』っていうのがあって、今はそこを常に考えていますね。とにかく、濃い場所、ホットスポットをつくって、そこに人が来れば、自ずと人生が変わるんじゃないかっていう思いがあって。

小松  そのケミストリーが実際起きているんですね。

為末  義足開発のXiborgもそこの元メンバーです。もうひとつは、「プレイヤー」っていうアプリを作っている会社があるんですよ。スポーツの観戦型メディアなんです。2020年に向けて今一生懸命やっています。プロジェクトの種が、いくつもあるんですよ。

小松  次々に作家&作品が生まれるトキワ荘のようですね。

為末  プレイヤーは最初は2人の若者が来て「会社をつくりたい」っていうから、「じゃあここ貸してあげるよ」と、うちのオフィスの一角にいて。朝、行ったら、どっちかが寝ているみたいな状況からスタートして、今は30人くらいの世帯になってきました。

小松  為末さんはそこでは社長なんですか?

為末  いえいえ、いち応援者って感じですかね。プロジェクトの出資者ですけど、本当に小さな金額ですし。でも、原宿のオフィスでの体験は、僕のなかで大きなことでしたよ。人は影響し合い、そこから新しいモノが生まれるんだ、と確信できたんですから。

小松  現役時代の孤高の為末さんとは、正反対(笑)。

為末  そうなんですよ(笑)。僕は、とにかく話すことが好きなんですね。現役時代も同じで、話す相手がいないので、独り言ばかり言ってましたけど。

小松  対話する経営者。

アマゾンやグーグルをはじめ、現代とその未来を設計している才能って、きっと最初はそんな感じですよね。人と違った、変わった人たちが集まり、その居場所を作ったはずです

為末  引退して、仕事やっていて、なんとなくやれそうだと思えたことが2つだけあります。1つはしゃべること。もう1つは目利きですね。

小松  それ、ものすごい経営者の資質。

為末  僕の経験でいくと、言われたことはやりたくないんだけど、やりたいことはとことんやりたいわけですよ。人を見ると、「言われたことはやりたくないんだけど、やりたいことはとことんやりたい人間」が分かるんです。

小松  まさに目利き!!

為末  スポーツ観戦アプリ「プレイヤー」をつくっている若者も、偏っているんですよ。こうだって思い込んだら、突っ走る感じ。最初なんて「何がしたいのか?」と聞くと、スポーツがやりたいんだ、しか言わない。プレゼン資料も数字とかは一応あるんですが、結局書いてあることは「頑張りたいです。応援して下さい」なんですよ。でも、なんとなく直感で彼はどうなろうと最後まで踏ん張りそうだなと思いました。今まさに彼らも奮闘中ですが、チームも大きくなり、こんなに人間は成長するんだと驚きました。僕にとって経営って何かを省みるきっかけになりました。

小松  為末さんには現役時代、何度もインタビューさせていただきました。穏やかな笑顔とは裏腹に、詳細微細に、肉体に向き合っていましたよね。食事にも心血を注いで「この食べたものがどう筋肉に、血管に、血液に、神経になっていくかって考えながら食べる」と仰って、添加物を体に入れたくないからと、自炊してましたね。

為末  まあ、自分オタクだったんですよ(笑)。

小松  今も? 社長という立場と自分オタクのバランスは?

為末  現役時代コーチをつけないっていうことは、裏を返すと自分で全部決めたいんですね。だから、未来にも強固なイメージがあって、常に「こうすべきだ」と描けるビジョンがありました。今、社長として、その頃の自分のような人間を求めると、実はすごい管理型になりかねないというか。強要しがち、っていうか。

小松  そうですね。もし、為末大を作ろうとしたら、もう一挙手一投足まで、管理したくなるかもしれない。

為末  まるで、自分の体を管理するみたいに。

小松  そこに許せる自分、他者を認めて楽しめる自分、を見いだせているんですね、現在の為末さんは。

為末  そういうところは、ちょっと揺れたこともあったんですけど、結局、為末大のコピーを求めてもうまく行く気がしなかったんですよ。自分の理想を求めてそのための手助けをするより「わぁー、この青年面白い、どこへ行っちゃうのかな」と思って一緒に過ごす方が、やっぱりうまくいく気がします。「オレって目利き」というのは、そのパフォーマンスの高さに裏打ちされているわけで、これは一人で陸上をやっているときには知らない喜びでした。

小松  そもそも為末さんの現役時代のストイックさを、誰かに強いたら、ついて来れる人なんていませんよ。

為末  実は僕、兵法とか軍事教本とか、すごく好きだったりするんですよ。どのように組織を統率するか、そこにあるノウハウにはとても興味があります。だけど、それとは反対にある世界、何が起こるか分からないカオスに、今は胸が躍っています。ただ、熱量が高いっていうだけで、やれそうだなっていう感じになれる。これは現役時代にはもち得なかった感覚です。

小松  変わったんですね、為末さん。

為末  はい(笑)。新しい自分を見つけました。

小松  目利きしている為末さん、見てみたいです。

為末  僕の目利き、これが最大限に発揮される場所って、実は飲み会なんですよ。

小松  へぇ。飲み会、よく主催するんですか?

為末  はい。これが式次第のある飲み会とは対極で、グタグタな会なんですけど、その後、その人たち同士で仕事が始まったり、みたいなことをやるのが楽しいなって思って。

小松  起業家とはまた別な顔ですよね。人と人をつなげるマッチングが好きなんでしょうね。

為末  そうなのかもしれないですね。

小松  新しい行為というか、心の作用というか。

為末  そうですね。現役時代、道を究めることに人を引き込むと、その人を不幸にするなっていう思いが僕にはあったんです。その人は、僕のために自分を滅することになるかもしれないから、です。引退してちょっと変わったところは、自分のことだけでなく「人間はどのようにすれば、もっとイキイキして生きていけるのか」っていうことに興味がわいたこと。自分だけでなく、家族や仲間やコミュニティの人々が、イキイキするためにはどんな方法があるのかな、自分もそのために、何かできるはずだ、と考えるようになった。本当に今年くらいからですかね。そんなふうに、だんだん信じられるようになってきて。僕は、こちら側でいいんだって思えるようになってきたっていうか。

小松  素敵な変化ですね。

為末  はい(笑)。僕は、これで行ってみようって。うまく行くかどうかわからないけど、やってみよう。日々、そう思える自分が好きになりました。

[続く]第三回/緻密な計画よりも、即行動。失敗も挫折も成長のレッスン

SUPER CEO Back Number img/backnumber/Vol_56_1649338847.jpg

vol.56

DXに本気 カギは共創と人材育成

日本アイ・ビー・エムデジタルサービス株式会社

代表取締役社長

井上裕美

DXは日本の喫緊の課題だ。政府はデジタル庁を発足させデジタル化を推進、民間企業もIT投資の名のもとに業務のシステム化やウェブサービスへの移行に努めてきたが、依然として世界に遅れを取っている。IJDS初代社長・井上裕美氏に、日本が本質的なDXに取り組み、加速させるために何が必要か聞く。
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