“超”私的エクストリームな瞬間

【コーヒー】

新たな産地や品種を発見しコーヒー文化を変える!

株式会社ミカフェート

代表取締役社長・コーヒーハンター

川島 良彰

写真/宮下 潤 動画/トップチャンネル 文/高橋光二 | 2016.08.10

コーヒーの絶滅品種を探し、復活させる。その情熱から“コーヒーハンター”の異名をとる川島良彰氏。まだ見ぬ世界各地の美味しい豆を見つけ、消費者が正当に評価する。“コーヒー文化”をつくり出す事業に取り組んでいる。夢は「コーヒーで世界を変える」こと。

株式会社ミカフェート 代表取締役社長・コーヒーハンター 川島 良彰(かわしま よしあき)

1956年、静岡県の珈琲焙煎卸業に家に生まれる。エル サルバドルのホセ・シメオン・カニャス大学に留学。その後、国立コーヒー研究所に入所。1981年、UCC上島珈琲株式会社に入社し、ジャマイカ、ハワイ、インドネシアなどでコーヒー農園を開発、各現地法人の社長などを歴任。51歳で同社を退職し、株式会社ミカフェートを設立。日本サステイナブルコーヒー協会理事長、東京大学コーヒーサロン共同座長、日本航空コーヒーディレクターなどを務める。主著に『私はコーヒーで世界を変えることにした。』(ポプラ社)、『コーヒーハンター 幻のブルボン・ポワントゥ復活』(平凡社)などがある。

世界各地にいる、コーヒー豆生産者の名手を見つけたり、絶滅した豆を復活させたり、人生のすべてをコーヒーに捧げ「コーヒーで世界を変える」と本気で考えている“コーヒーハンター”の川島良彰社長。“コーヒーに捧げた人生”そう表現することは、決して大袈裟ではない。

静岡市でコーヒー焙煎卸業を営む家に生まれた川島社長。物心つく頃からコーヒーに囲まれた環境で育ち、世界各国から送られたコーヒーの麻袋が高く積まれた倉庫が一番の遊び場。そして、父親のコーヒーを焙煎する姿に憧れていた。

「小学生の時に自分もコーヒー屋になると決め、コーヒーの栽培から学びたいと考えるようになりました。それなら本場で勉強したいと思い、ブラジル大使館に手紙も出しましたよ。昔から、やりたいことはやらないと気が済まない性格でしたね(笑)」

そんな川島社長の長年に渡る説得に父親が折れ、メキシコ留学を提案。そして仕事の関係でつてがあった在日エル・サルバドル大使に相談したところ、その場で同国への留学が決まる。

同国でも、“やりたいことをやらないと気が済まない”性格が行動を起こす。“世界三大コーヒー研究所”のひとつであったエル・サルバドルの国立コーヒー研究所の所長室に1カ月間、毎日座り込みに行き、見事研究生として受け入れられたのだ。

「やりたかったコーヒーの本格的な研究です。夢中になって取り組みましたね」

しかし内戦が勃発し、命の危険の前にロサンゼルスに一時疎開することに。そこに、川島社長の存在を聞きつけたUCC上島珈琲の創業者・上島忠雄会長がスカウトに訪れる。

「はじめは、もっとエル・サルバドルで勉強したくて断ったのですが、情勢も良くならないので、結果的にジャマイカに新たにつくる農園の責任者に就任させてくれました」

1981年に入社し、そこから26年間、同社の社員として働き、うち23年間は海外に駐在し自社農園づくりや買付けを手掛ける。そのプロセスでは、ハリケーンや震災、山火事、強盗、犯罪の濡れ衣、そして急病など、ありとあらゆるトラブルに遭遇。

「それでも、辛いとか苦しいなどと思ったことはありません。行く国行く国、文化も宗教も言葉も違い非常に勉強になりましたし、何より生産者に会って笑顔を見ると嬉しくなりましたから(笑)」と川島社長は屈託がない。

川島社長が高校卒業後に留学しコーヒーについて学んだ原点の地でもあるエル・サルバドル。今もなお同国からは6農園10銘柄の豆を輸入している。

川島社長が、コーヒーハンターの異名をとるようになったのは、1999年のこと。

「マダガスカルに、『マスカロコフェア』というカフェインがほとんど含まれない希少種がある、とエル・サルバドルの研究所時代に文献を読んだことがあり、ずっと興味があったんです。僕は、これを探しだし、美味しいコーヒーを掛け合わせることで、おいしい低カフェインコーヒーを作れるかもしれないと考えたのです。販売されているカフェインレスコーヒーは、今ひとつですからね。

2週間、四駆で島をめぐり、ワオキツネザルが見下ろすジャングルをかき分けて進み、ついに発見。その時、通訳兼ガイドが『You are Coffee Hunter!』と叫んだんです。これ以来、“コーヒーハンター”と呼ばれるようになりました」

その後、マダガスカルの東側にあるレユニオン島でも、“幻のコーヒー”といわれていた「ブルボン・ポワントゥ」の原木を発見。同地のコーヒー産業復活に一役買うことに。そんな川島社長は、UCCの次期役員として「本社での勤務期間が必要」と帰国が命じられた際に、日本である体験をする。

「日本のレストランで、素晴らしい料理を堪能した後に非常に残念なコーヒーを出され、強い問題意識を感じたのです」

その思いを胸に、2007年にUCCを退社し、株式会社ミカフェートを起業。

「コーヒーは、ワイン同様、産地や品種、収穫時期、加工などによってグレードが千差万別となるものです。ところが、『モカ』『グァテマラ』『コロンビア』などと大雑把に括られているだけ。こんなことでは、コーヒー本来の魅力は伝わりません。

そうした強い問題意識が、当社を設立した動機となりました。コーヒーのためにできることはすべてやろうと思っています」と川島社長は力説する。

焙煎後のアロマと鮮度を保つためにペットボトルで保存された「COFFEE HUNTERS」シリーズ(1650円~)。右端がシャンパンボトルに入った「Grand Cru Café」。

ミカフェートが展開する商品のひとつに「Grand Cru Café」がある。これは、畑の選別、栽培、収穫、精選、輸送、保管すべてに設定した品質基準をクリアした豆だけが冠する事を許されるトップブランド。

焙煎したての「Grand Cru Café」は、アロマと鮮度が保てるシャンパンボトルに詰められ、栓を抜くと、シャンパン同様「ポン!」と音がする。炭酸ガスが充満しているからだ。通常、焙煎豆はこのガスを放出させて包装されるが、ガスとともに、コーヒーの命ともいえるアロマも逃がしてしまう。だから、アロマも逃さぬよう、ガスの圧力に耐えられるシャンパンボトルに詰めているのだそう。

価格はなんと13500円~。ただ、決して高いだけのコーヒーとは思わないで欲しい。川島社長が謳うのは、コーヒーもワインのような「品質のピラミッド」があるということ。そのために業界で初めて明確な品質基準をつくり、グレード別に現在4つのブランドラインを展開している。「Grand Cru Café」はその頂点に君臨する素晴らしい品質のコーヒーなのだ。

ブランド価値を保つにはそれに見合う品質を守り続ける生産者の協力が不可欠だ。コーヒーハンターとして海外のパートナー農園を飛び回り続けているが、お土産として持参するのは、その農園で収穫した豆を焙煎したコーヒーだ。

「多くの農園主達が飲むコーヒーは、輸出規格外品の低級品。『俺のつくったコーヒーは、こんなにうまかったのか!』と一様に驚きます(笑)。その表情を見るのが好きなんです。

それに、彼らがどんなに素晴らしい品質のコーヒーを作るポテンシャルを持っているか理解してもらうことが重要だと思っています。それを気付かせて、更にいい物を作るヒントを与えることが僕の仕事です。そして生産者にもっと豊かになってほしいと強く思います」

川島社長の軌跡は、“あきらめない”ことの連続だ。ジャマイカには、樽に入れて出荷しないものは、ブルーマウンテンとは認めないという法律があった。しかし、樽では品質が劣化する。プラスチックの袋を認めさせるまで粘りに粘ったこともある。

「ここであきらめたら自分の価値はない」というこだわりだけが支えだったそう。こうして、「コーヒーで世界を変える」一心で、古い慣習やしきたりのある業界の常識に粘り強く挑み続けている。

「この“あきらめない”という気持ちの大切さが、私から読者の皆さんにお伝えできるメッセージですね」

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vol.56

DXに本気 カギは共創と人材育成

日本アイ・ビー・エムデジタルサービス株式会社

代表取締役社長

井上裕美

DXは日本の喫緊の課題だ。政府はデジタル庁を発足させデジタル化を推進、民間企業もIT投資の名のもとに業務のシステム化やウェブサービスへの移行に努めてきたが、依然として世界に遅れを取っている。IJDS初代社長・井上裕美氏に、日本が本質的なDXに取り組み、加速させるために何が必要か聞く。
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