スーパーCEO列伝

自律するPR テクノロジーが物事をシンプルに

株式会社ベクトル

代表取締役・CEO

西江肇司

文/長谷川敦 写真/宮下 潤 | 2018.12.10

総合PR会社のベクトルは、「戦略PR」を武器にして後発ながら業界のトップに躍り出た企業グループだ。2018年2月期の連結売上高は約200億円。1000億円市場といわれるPR業界でも大きなシェアを占めており、その地位は盤石なものといえる。そんなベクトルでは今、「PR業界ナンバーワン」から「モノを広めるファストカンパニー」へとコンセプトを更新し、新たな領域に挑もうとしている。従来のPR業界と広告業界の枠組みを壊し、さらに大きく成長する可能性を秘めたビジネスに迫る。

株式会社ベクトル 代表取締役・CEO 西江肇司(にしえ けいじ)

1968年生まれ、岡山県出身。関西学院大学卒。大学在学中に起業し、卒業後、1993年にセールスプロモーションを事業とする株式会社ベクトルを設立。2000年よりPR事業を中心とした体制に移行。さまざまな企業のPR戦略のコンサルティング、PRの手法開発を手掛けながら売上を拡大。2012年、東証マザーズに上場。2014年、東証一部へ市場変更、持ち株会社へ移行。2011年からは海外へ積極的に進出し、アジアナンバーワンを目指す。連結グループ会社は45社(2018年11月)。

キース・リチャーズの映画トレーラーを見て新しい時代に気づいてしまった

ベクトルはPR業界において、他の追随を許さないナンバーワン企業だ。2012年に東証マザーズ上場を果たすと、14年には東証一部へ市場変更。その後も成長のスピードを緩めるどころか加速させ、16年から18年のわずか数年でグループ売上額を倍増。その金額は200億円に達している。また一部上場企業のPR TIMESをはじめとして、40数社をグループ傘下に置く。そんなベクトルは近年、新たな事業コンセプトを掲げている。それは「モノを広めるファストカンパニー」というもの。これは、1000億円規模のPR業界だけでなく、6兆円規模の広告業界のマーケットへ出ていくことを示したものだ。

グループCEOの西江筆司氏は、その理由について、「今の時代は、人々にモノを認知させるための方法が、以前とはまったく変わってきている」と語る。

「以前であれば、情報を世の中に広めるためには、莫大な広告費をかける必要がありました。でも今は、人々は広告ではなく“ニュース”で多くの情報を知るようになっています」

そのことを確信したのは約3年前、Netflixでローリング・ストーンズのギタリスト、キース・リチャーズを扱ったドキュメンタリー映画のトレーラー(予告編)を見たときのことだった。

「2~3分間のトレーラーを見たら大体のことがわかりました。そのとき『あれ、情報の伝わり方が変わったな』と思ったのです。今は世の中にいるストーンズファンの8割くらいはこういったPR、いわゆるニュースで最新の情報が伝わっているでしょう」

昨今、マーケティングにおけるターゲティングの精度向上は目覚ましい。西江氏はローリング・ストーンズの大ファン。レコメンドとしてストーンズに関連する作品が表示されることは多く、キース・リチャーズのトレーラーもまた、そうして見るに至ったものだった。


意外と知らない「広告」と「PR」の違い

広告もPR(パブリックリレーションズ)も、企業が自社商品の認知度を上げるための手段として用いられるという点では同じだ。しかし、広告とPRでは、認知度を上げるための手法が大きく異なる。

広告とは、企業が新聞、雑誌、テレビ、ラジオ、ウェブ等のメディアの広告枠を買い取り、その広告枠に文章、写真・画像、映像・音声等を掲出することで、自社商品を宣伝しようというものだ。

一方PRは、ニュースリリースや商品発表会などを通じて、メディアに取り上げてもらいやすい情報を発信し、新聞や雑誌、テレビの情報番組などに掲載・放映してもらうことを目的とする。

PRの場合、掲載や放映にあたっての料金は発生しないが、必ずしも取り上げてもらえるとは限らない。ただし、もし取り上げてもらった場合、客観的な情報として報じられるため、その信憑性は広告と比べて高くなるといわれている。


時代が変われば伝える手段も変わる

「広告」の特徴は、制作に莫大なお金と時間をかけることだ。テレビCMや雑誌に掲載される広告は、クリエイターが丹念につくり上げ、クライアントによる入念なチェックを経て、ようやく完成する。クオリティはとても高く、“作品”といえるものも少なくない。それらをテレビ・新聞・雑誌・ラジオといったマスメディアの“枠”を買って掲出するのが一般的だ。

SNSが普及する7~8年ほど前までは、新聞や雑誌を購読する人はまだまだ多く、テレビの視聴率も今より高く、企業が情報を世の中に広めるためにはマス広告を活用するのが効果的だった。

一方、人々に情報を伝えるための手段として、「PR」も昔からあった。代表的なものとしては、企業がメディアに送るニュースリリースや、メディア関係者を呼んで開催する商品発表会が挙げられる。それらを通じて、企業活動や新商品について興味を持ってもらい、新聞や雑誌、テレビの情報番組などに取り上げてもらうことで、社会的な認知度アップを図るのが狙いだ。

PRの費用は広告の十分の一程度といわれているが、メディアが企業の思惑通りに企業活動や新商品を紹介してくれるかどうか、不確実な部分が大きい。それは、PRの課題であり、宿命であった。

そんななか西江氏は、前述の経験を通して、アドテクノロジーを使ってニュースリリースを商品やサービスのターゲットになる人たちに直接届ける手法の有効性に気づいたのだった。

ビデオリリース×アドテクの可能性

これまでのPRは文字情報や画像で構成された記事が主体だったが、西江氏は以前から、動画が持つ情報伝達力にも大きな可能性を感じていた。2015年、西江氏はこのビジネスアイデアを具現化させるために、新たな子会社としてNewsTVを設立。

同社の事業は、先ほどのキース・リチャーズの映画トレーラーのように、企業の商品・サービスに関する60秒~90秒程度の動画ニュース、つまりニュースリリースならぬ「ビデオリリース」を制作し、アドテクを用いてターゲットに配信していくというものだ。

「クライアント企業から配信費として1社あたり500万円いただければ、3000社の企業と契約を結ぶとして、少なくとも150億円程度のマーケットになるはずだ」という構想を西江氏は抱いた。

「企業が発信したいニュースをビデオリリース化して、アドテクを使ってターゲットに確実に配信していく」というこの新しいビジネスモデルが、情報を伝達する上で広告よりも優れているとすれば、広告業界のマーケットに切り込んでいくための強力な武器となる可能性は十分にある。

「戦略PR」を掲げて業界トップに躍り出る

現在、ベクトルが推し進めているこの新しいビジネスについて、さらに踏み込んで説明する前に、ここで少しこれまでのベクトルの来歴を確認しておきたい。

ベクトルは、学生向けのパーティを開催する企業などを学生時代から経営していた西江氏が、1993年に設立した会社だ。当初はセールスプロモーションを事業の主軸に据えていたが、2000年よりPR全般を対象中心とした会社に移行した。PR業界においては、完全な後発組である。

そんなベクトルが、なぜ業界トップに躍り出ることができたのか。

飛躍の契機は、2008年にリーマンショックが発生したことだった。多くの企業は広告宣伝費の縮小を迫られた。そこで企業が、多額の費用をかけずに自社商品の認知度を高める手段として、広告の代わりに目をつけたのがPRだった。

しかし、当時の多くのPR会社は、企業活動や新商品のニュースリリースをマスメディア各社に送るだけの“PR代行業務”の域を出なかった。運良く新聞社や出版社、テレビ局の担当者の目に止まれば、情報を取り上げてもらうこともあったが、あまりにも非効率といえた。

そんななかで同社が掲げていたのが「戦略PR」というコンセプトである。ニュースリリースはあくまで企業側が発信したい情報で、メディア側にとって魅力的な情報とは限らない。そこでベクトルでは、メディア側がそのネタを取り上げたくなるようなかたちに情報を整理・加工し、発信するという戦略をとった。

例えばある企業が発売したシニア向けの新商品を、「最近の高齢者の購買行動」を象徴する商品としてテレビ局のディレクターにアプローチすれば、情報番組で取り扱ってもらえる可能性は高くなる。つまりその時々のトレンドやトピックスとリンクさせる形で、商品をPRするわけだ。

また、企業のニュースリリースを確実にウェブメディアで掲載してもらうためのプラットフォームも整えた。このニュースリリース配信サービスを担っているのが、ベクトルの子会社で東証一部上場企業でもあるPR TIMESだ。

PR TIMESでは、「YOMIURI ONLINE」や「朝日新聞デジタル」、「東洋経済ONLINE」などの月間1億PV以上の11サイトをはじめとする182媒体と提携。企業は自社のプレスリリースを、これらの媒体の中から20媒体以上に、原文のまま掲載してもらえる仕組みになっている。

»プレスリリースは素材ではなくコミュニケーションツール PR TIMES山口社長の次世代PR戦略 

こうした戦略的なPRや、読者に確実に情報を届けるための仕組みづくりが多くの企業から支持されて、ベクトルは躍進を遂げている。

「これからはシンプルなものしか成功しない」

ただし今、ベクトルにとって「戦略PR」は、必ずしもファーストプライオリティではなくなっている。なぜなら、「戦略を立てなくてもいい時代になったから」(西江氏)だ。

これまでのPRは、企業側が発信する情報を、新聞、雑誌、テレビ、ラジオといったできるだけ多くのメディアに取り上げてもらうことを目指していた。そしてより数多く、かつ効果的に扱ってもらうためにベクトルが仕掛けてきたのが「戦略PR」だった。

もちろん今でも、テレビや新聞が消費者に与える効果は絶大だ。一方で、西江氏がキース・リチャーズの映画のトレーラーを見ているうちに気づいたように、詳細な戦略を駆使してテレビや新聞にアプローチしなくても、届けたい情報を届けたい人に、低コストかつスピーディに直接届けることが容易になった。これを可能にしたのがスマートフォンやSNSの普及と、動画の進化だった。

「テクノロジーの発達が物事をシンプルにしました。例えば新商品の認知度を上げるのだって、詳細な戦略を立てるよりも、インパクトのあるネーミングを考えるほうが有効だったりします。そのネーミングに興味を持てば誰でもすぐに検索しますよね? そして情報はあっという間にSNSで拡散していく。僕はこれからの時代は、シンプルなものしか成功しない気がします」

そのシンプルな時代にベクトルが目指しているのが、冒頭に挙げた「モノを広めるファストカンパニー」になること。それを実現するための方法は、それまでにベクトルが培ってきたPRのノウハウと非常にマッチしていたのだった。

»メディア・消費者との関係性づくりが肝 効率的にモノを広めるベクトルのコミュニケーション戦略 

顧客目線に立った「モノを広めるファストカンパニー」

「ファストカンパニー」とは、企画から製造、小売までを一貫して行っているZARAやユニクロのように、アパレル業界のSPA(製造小売)の概念をPR業界に導入することだ。西江氏によると、今の日本のPR業界や広告業界は、完全に分業体制になっているという。

「分業体制の中では、動画の制作会社は動画制作のことだけ、アドテクの会社はアドテクのことだけ、PRの会社は旧来のPRの手法を用いたPRのことしか考えなくなります。そして分業体制のため、業界の構造も複雑になっています。

しかし、クライアントが求めているのは、自分たちの商品やサービスを確実にターゲットに広めたいということであり、動画やアドテクはそのための手段に過ぎません。

本当に顧客目線に立つならば、情報の整理・加工から、ターゲットに向けた配信までを一気通貫でできるビジネスを構築する必要があると考えました。ベクトルが掲げている『モノを広めるファストカンパニー』とは、そういう意味です」

ベクトルグループでは、ビデオリリースをターゲットに向けて配信するために必要となる一連の工程をすべて内製化している。社内にない技術が必要とされる場合は、外注するのではなく、その技術を有する企業を買収することで、ワンストップで対応できる体制を整えていった。

これによりアパレル業界のZARAのように、低コストでスピーディにサービス提供できるようになった。また、同社はスピードを優先し、“ハイ”ではなく“ミドルクオリティ”をよしとしているのも特徴だ。

海外と日本の違いを知れば、やるべきことが見えてくる

西江氏はインタビュー中、「これからの時代はシンプルになる」という言葉を何度も口にした。なぜそう考えているかというと、世界の潮流がそうなっているからだ。

西江氏は、年間10回前後は海外に行く。このインタビューを受ける直前も香港からロンドン、ニューヨークへと、ちょうど世界を一周するかたちで海外を巡り、日本に戻ってきたばかりだった。海外で今起きていることや、“日本の常識”と“海外の常識”の違いを肌で知ることで、自分たちがこれからやるべきことが見えてくるという。

「僕は中国によく行くのですが、中国はテクノロジーが強烈に発達していて、今では誰もキャッシュを使っていません。買い物はみんなQRコード決済で済ませています。そのため、街からはATMが消え、人々はクレジットカードや財布を持たなくなっています。

これまでお金を流通させるために必要だったものがどんどん必要ではなくなり、決済の仕組みがシンプル化しているのです。シンプルなものと複雑なもののどちらを選ぶかとなれば、誰だってシンプルなものを選ぶに決まっています。中国に行くたびに、世界の潮流はシンプルな方向に進んでいると実感します」

シンプル化が世界共通の流れであるとするならば、「ビデオリリース」というベクトルの新たなビジネスモデルは、国内市場だけでなく海外市場でも十分に戦えるポテンシャルを秘めているはずだ。

「ベクトルは早くから中国の上海、香港、北京やインドネシア、タイ、ベトナム、韓国などで海外事業を展開してきました。海外事業も年間20%程度の売上増を順調に達成しています。ビデオリリースの事業についてはもう少し国内で経験を重ねた上で、海外に打って出ようと考えています」

古今東西、企業の望みは自分の商品やサービスをよりよく知ってもらって購買に結びつけること。顧客の望みを叶えるために、「ファストカンパニー」のコンセプトを掲げてPRと広告の垣根を壊しながら邁進していくベクトルの成長の勢いは、ますます大きくなりそうだ。

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vol.56

DXに本気 カギは共創と人材育成

日本アイ・ビー・エムデジタルサービス株式会社

代表取締役社長

井上裕美

DXは日本の喫緊の課題だ。政府はデジタル庁を発足させデジタル化を推進、民間企業もIT投資の名のもとに業務のシステム化やウェブサービスへの移行に努めてきたが、依然として世界に遅れを取っている。IJDS初代社長・井上裕美氏に、日本が本質的なDXに取り組み、加速させるために何が必要か聞く。
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