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120年ぶりに復活した幻の日本酒「本菱」 故郷・富士川町の思いをのせて全国に拡大中

甲州富士川・本菱・純米大吟醸(萬屋酒造店)【日本酒】

文/松本理恵子 | 2019.08.09

本菱 お披露目イベント
120年ぶりによみがえった「甲州富士川・本菱・純米大吟醸」は今、全国の日本酒ファンから熱い視線を集めている。日本酒としての品質もさることながら、生産に至るエピソードが面白い。かつて山梨県富士川町で盛んに生産されていた「本菱」は、時代の流れとともに姿を消し、“忘れられた酒”となっていた。ところが、この酒のレシピが偶然発見されたことから、“幻の酒、復活”の物語が動き出す。仕掛け人は、富士川町のある南巨摩郡出身でもあるむすび株式会社・深澤了代表。彼の「過疎化が進む故郷の富士川町を元気にしたい」という思いに共感する「本菱」応援団が全国に増加中だ。応援団の一人、インバイトジャパン株式会社の山田敦子代表に「本菱」の魅力を聞いた。

甲州富士川・本菱・純米大吟醸(萬屋酒造店)【日本酒】  

120年前まで山梨県富士川町で生産されていた日本酒。最盛期にはこの地域2番目に多い生産量を誇る酒だったという記録がある。2015年に地元の酒蔵から当時のレシピが発見され、復活するプロジェクトが始動した。2017年春に「甲州富士川・本菱・純米大吟醸」として復活。国内外で数々の賞を受賞するなど、高い評価を受けている。毎年限定生産のため、新酒のリリースを心待ちにしているファンも多数。

おすすめコメント

山田社長プロフィール写真

インバイトジャパン株式会社
代表取締役 山田敦子

リアル体験型脱出ゲーム「なぞばこ」を展開する起業家。「人は基本的によかれと思って行動するもの。よかれを価値に転換する仕組みを作り、世の中に提供することで、世界はより良くなる」という信念の下、活動を行っている。深澤氏の「まちいくプロジェクト」も、よかれの思いから出発している点でシンパシーを感じており、日本酒好きでもあることから「本菱」を応援している。

Q「本菱」の味わいを教えてください。

グラスに注いで口を近づけると、ふわっとモモやバナナを思わせるフルーティな香り。口に含むと少しとろみがあって、初めに爽やかな甘み、次に酸味が来ます。ほんのり辛みと苦みが来たと思うとすぐに去り、最後はすっきりとした後味。大人の味わい。新しい日本酒の世界に出合えます。

 

Q「本菱」を応援したくなる理由とは?

深澤さんの「自分の故郷を元気にしたい」という思いに共感していますし、様々なご縁が紡がれ、多くの人の思いが「本菱」として結実していることがステキだと思います。「本菱」が地方活性化のシンボルとなって、日本全国の地方が勇気づけられていくことを期待しています。

 

Q「本菱」は、誰とどんなシーンで飲みたいですか?

初夏にはオープンテラスで緑に囲まれながら、女友達と。フリットや白身魚のカルパッチョとともにキリッと冷やして飲みたいですね。秋から冬へと向かう、ちょっと冷える日には、心許せる仲間と温かいソファに集まって、濃厚なチーズケーキをつつきながら気楽なお喋りを。紅葉を思わせる「赤」のラベルの「本菱」を選びます。


 

120年の時を経て山梨県富士川町によみがえった幻の日本酒

本菱 商品写真

山梨県富士川町のまちおこしのシンボルとして生まれた「本菱」。美しい5色のラベルが飲む前から贈られた人の心を掴む。

山梨県富士川町(旧鰍沢町)は、富士川舟運の要衝地として栄え、江戸時代から昭和初期まで山梨県内で甲府市に次ぐにぎわいを見せた町。さらに、キレイな水とその水で育った米があったことから日本酒造りも盛んで、最盛期には多くの造り酒屋が「本菱」を生産していたという。ところが、明治44年に中央本線が開通し、物資の輸送が舟運から鉄道へと移ったことで人の流れが変わり、富士川町は活気を失った。それとともに次々と造り酒屋が次々と店を閉じ、やがて「本菱」は生産終了を迎える。

しかし、2015年春、偶然にも蔵から「本菱」の刻印や紙資料などが発見される。その蔵というのが、他でもない深澤氏の実家の蔵だった。深澤家は祖父の代まで酒蔵を営んでいたという。「『本菱』を復活させることで、富士川町を再生できるのではないか」と考えた深澤氏は2016年3月、「まちいくふじかわプロジェクト」を立ち上げ、賛同者を募って一から酒造りを始めた。

酒造りの素人ばかりで走り出した、手探りでの酒造り。地元の人々の助けを得ながら、2017年4月、ついに120年ぶりとなる「甲州富士川・本菱・純米大吟醸」が誕生する。

まちいくふじかわプロジェクトとは?

田植え風景 稲刈り風景

地元の人だけでなく「まちいくふじかわプロジェクト」に賛同した参加者たちが一緒に田植えや稲刈りも行う。

ここで「まちいくふじかわプロジェクト」について説明しておきたい。「まちいく」は、深澤氏が独自で培ったブランド構築の理論を用いて行う地域活性化プロジェクトで、「地元の資産を掘り起こして、町を元気にする」ことを目的とする。その第1弾としてスタートしたのが、「まちいくふじかわプロジェクト」だ。

第1期(2016年度)は、町内外から「日本酒造りをしてみたい」「ブランディングを学びたい」などの思いをもった30名が参加。毎月1回ミーティングを開き、「本菱をどうやって復活させるか」「復活させたら、どのような形で世に出すか」などを話し合ったという。酒米づくりでは、地元の農業生産法人に指導を仰ぎ、田植えから稲刈り、精米まで自分たちで行った。また、酒造りでは、富士川町に唯一現存する酒蔵の萬屋酒造に協力を得た。

最初の「本菱」が2017年春に完成した後もプロジェクトは継続し、現在、第4期を迎えている。

酒造りの場は、与謝野晶子が愛した萬屋醸造店

萬屋醸造店の外観

歌人・与謝野晶子が愛飲した「春鶯囀」の暖簾を掲げる老舗「萬屋醸造店」で「本菱」は造られている。

120年ぶりに復活した「本菱」に用いられる酒米は「玉栄(たまさかえ)」。これを50%に精米し、きょうかい酵母1901で仕込む。玉栄の純米大吟醸は全国的にも希少価値が高く、安定して出すことが難しいといわれるフルーティな味わいとキレの良い後味を表現することで、「本菱」は復活からわずか3年で4度の国際賞を受賞。

今年は「Kura Master日本酒コンクール 2019 純米大吟醸部門 金賞受賞」「ロンドン酒チャレンジ 2019 純米大吟醸部門 金賞受賞」の2冠を達成した。誰も名前を知らなかった酒が、海外で評価されたことで信頼性や知名度を獲得し“知る人ぞ知る銘酒”となった。

本菱の酒造りの場である「萬屋醸造店」は、1790年(寛政2年)から続く酒蔵で、歌人の与謝野鉄幹・晶子夫妻との縁が深い。6代目当主の弟が夫妻の愛弟子であった関係で、晶子は甲州を旅した折に同店に宿泊し、こんな歌を詠んでいる。

「法隆寺など行く如し甲斐の御酒春鶯囀のかもさるゝ蔵」

この名句を受けて、それまで「一力正宗」として販売していた主力ブランドの酒の名を「春鶯囀」と改めたという逸話が残っている。そんな歴史とドラマを持つ酒蔵で、「本菱」は造られている。

富士山、桜の名所、日本酒……富士川町の魅力再発見

富士川町から見る富士山

春は桜と富士、元日はダイヤモンド富士が望める富士川町は、多くの地域資産に恵まれている。

「本菱」復活によって再び活気づき始めた富士川町だが、実は他にも誇るべき地域資産がいくつもある。例えば、ダイヤモンド富士。高下地区では、年末年始にかけて日の出が富士山頂上から輝く現象が起こる。元日の初日の出には、ひと目見ようと多くの人が訪れる。

また、大法師公園は、山梨県唯一の桜の名所百選に選ばれている。約2000本の桜が咲き乱れる様は圧巻の一言。それこそ、晴れた日に「本菱」を飲み交わしながら、富士山と桜の共演を楽しむなども一興だ。

ちなみに、大法師公園には山王神社という小さな神社があり、2柱の神が祀られている。全国の酒蔵が崇める京都・松尾大社の主祭神「大山咋神(オオヤマクイノカミ)」と、縁結びの神「玉依姫(タマヨリビメ)」だ。“メンバーを募集して日本酒を復活させる”という本プロジェクトとの合致には、不思議な縁を感じずにいられない。

「本菱」から広がる地域活性化の波

本菱まんじゅう 本菱まんじゅう 箱

「本菱」という新しいブランドから派生した「本菱大吟醸まんじゅう」。

さて、年々ファンを増やしている「本菱」だが、特に40代以上の人が贈答品として購入することが多いという。

小さな過疎の町から始まったプロジェクトは、少しずつだが確実に広がりを見せている。農業以外の産業がほぼなかった地域に新しいブランドが生まれたことで、製造、配送、ホテル、酒屋などに活気が戻ってきた。地元のいち柳ホテルが開発した「本菱アイス」や、老舗和菓子店・松月堂が開発した「本菱大吟醸まんじゅう」など、派生商品も出ている。

人々の縁をつないで生まれた奇跡の酒「本菱」は、そのドラマチックなストーリーを抜きにしても、高い評価を得ている。日本酒好きのあの人への贈り物として、久しぶりに会う友への手土産として、特別な日を祝う酒としてなど、使い方はいろいろ。人の輪の中心に置く酒として「本菱」は最適だ。


 

本菱 商品写真

「甲州富士川・本菱・純米大吟醸」
原料:米(山梨県産)/米こうじ(山梨県産米)※富士川町産「玉栄」を使用
精米歩合:50%
日本酒度:-2 酸度:1.5
アミノ酸:1.2 アルコール分:17%
内容量:720ml 3,980円(税込)/300ml 1,790円(税込) ※共に限定1200本
製造:萬屋醸造店
公式ホームページ:http://honbishi.jp/

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vol.56

DXに本気 カギは共創と人材育成

日本アイ・ビー・エムデジタルサービス株式会社

代表取締役社長

井上裕美

DXは日本の喫緊の課題だ。政府はデジタル庁を発足させデジタル化を推進、民間企業もIT投資の名のもとに業務のシステム化やウェブサービスへの移行に努めてきたが、依然として世界に遅れを取っている。IJDS初代社長・井上裕美氏に、日本が本質的なDXに取り組み、加速させるために何が必要か聞く。
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