小松成美が迫る頂上の彼方

第二部

栗城史多の挑戦を支え続ける、ある言葉と思い

登山家

栗城史多

2017.04.26

栗城史多氏を迎えての対談第二回。今まさに、7度目のエベレスト登頂への挑戦に向かっている栗城氏。不屈の精神の裏側にある、父から学んだ言葉と、思いに迫ります。

登山家  栗城史多

1982年北海道生まれ。大学山岳部に入部してから登山を始め、6大陸の最高峰を登る。その後、8000m峰4座を単独・無酸素登頂。エベレストには登山隊の多い春ではなく、気象条件の厳しい秋に6度挑戦。見えない山を登る全ての人達と、冒険を共有するインターネット生中継登山を行う。2012年秋のエベレスト西稜で両手・両足・鼻が凍傷になり、手の指9本の大部分を失うも、2014年7月にはブロードピーク8,047mに単独・無酸素で登頂し、見事復帰を果たした。これからも、単独・無酸素エベレスト登頂と「冒険の共有」生中継登山への挑戦は続く。
その活動が口コミで広がり、人材育成を目的とした講演や、ストレス対策講演を企業や学校にて行っている。
近著『弱者の勇気 -小さな勇気を積み重ねることで世界は変わる-』(学研パブリッシング)。

小松 現実に指を9本失った時には引退は考えなかったのですか?

栗城 はい。実際、引退という言葉もよぎりました。一方で、諦めるものか、とも思っていました。リハビリをして、残された指が機能すればまた山に登れるはずだと、諦めなかった。だから、なんとかここまで来ることができました。

小松 栗城さんに「諦めるものか」と思わせたものは?

栗城 支えてくれる人たちの存在です。第一に父が僕にかけてくれた言葉がありました。

小松 お父さんは、息子に何と?

栗城 父には指を切断することをすぐに言えなかったんです。それまでも、相当心配かけていますから。でも、いざ告げた時の第一声が「おめでとう」だったんです。「なんでおめでとう!?」と聞いたら、ひとつは「生きて帰って来たことにおめでとう」と。そして、もうひとつは「そうやって苦しみを背負って、またチャレンジができる。それは苦しいかもしれないけど、素晴らしい体験なんだよ」って言ってくれました。

小松 素晴らしいお父さんですね。

栗城 はい。凍傷で重症を負った僕におめでとうと言ってくれた父のお陰で、絶望が希望に変わりました。ありがたかったですね。

父、敏雄さんと。

小松 エベレストの自然は荒ぶるものです。人智など及ばない。そのなかで、凍傷になってしまったのだから仕方がない。でも、本当に指を失ってしまった。その瞬間に悲しみはなかったんですか?

栗城 悲しみはものすごくありました。半年間は何もできなかったですし、収入もなくなりました。どうやって生活して行けばいいんだろう、治療はどうすればいいんだろう、何よりも指を失ってしまうことで、僕は山を登れなくなるかもしれないと思い、そのことが怖かったです。

小松 その間は、どんな生活を送っていましたか?

栗城 部屋に引きこもっていましたね。敗血症になると命まで危険にさらされるのであまり外出できないんですよ。一応退院はしているんですが、絶対安静ということだったので、ずっと部屋にいました。

小松 部屋の中で恐怖と戦っていたわけですね。

栗城 はい、でも、父が言っていた「おめでとう」という言葉があったんで、どうやって復活するか、そういう意識は心の奥底にしっかり芽生えていましたね。

小松 栗城さんはその恐怖に打ち勝って、山に戻りますね。

栗城 漢方と再生治療のお陰で切断した場合より指を1センチ長く残せたことももちろんですが、実際に登山を諦めずに済んだのは、先輩たちのお陰です。僕が大尊敬している登山の先輩に指を切断したあとに会って話をして「無理かも知れないけど、また登りたいです」と、本心を打ち明けたんです。そして、ある山にトレーニングに連れて行ってもらいました。その時、指をなくした僕は何もできないんですよ。初心者以下でした。その僕に先輩は「お前は大丈夫だよ」って言ってくれました。何が大丈夫なのかなと思ったんですけど、その先輩はこう続けたんです。「栗城、お前は山を見るんじゃなくて自分を見ろ。自分を見つめて登れば、大丈夫だよ」と。

小松 自己との対話ですね。

栗城 はい。どうしても目標に向かって走り続けると、そこを強く意識するあまり、視野が狭くなり見落としてしまう部分があるんです。僕は指を切断したことで山に登る最大の理由を忘れていました。それは「楽しむ」ということ。エベレストに向かって行くということは、ものすごく集中力とエネルギーが必要です。しかし、それゆえに楽しめなくなっている自分がいました。かつて別の先輩に言われた「楽しくなかったら下山しろ」という言葉が蘇りました。それは、今でも僕の判断基準のひとつです。チャレンジには、苦しさのなかにある、好奇心や高揚感こそが大切なんです。

小松 苦しさと高揚感は表裏一体ですね。先輩の言葉を受けて、また登山を再開した栗城さんにはどのような変化がありましたか。

栗城 それまでは、とことん自分を追い詰めて登っていたのが嘘のように吹っ切れました。いつも「楽しんで登ろう」というシンプルな気持ちで挑めるようになりました。

「指を失ってしまった時、悲しみはなかったんですか?(小松)」

小松 2014年7月24日、ブロード・ピーク(世界第12位高峰 8047m)の登頂に成功し、翌年2015年8月末からは5度目のエベレスト登山に挑みましたね。

栗城 2015年は南東稜ノーマルルートからの登頂を目指しましたが、やはり悪天候に阻まれてサウスコル付近で断念しました。

小松 酸素ボンベを背負ってシェルパと帯同すれば登頂できる可能性が高くなりますが、栗城さんはそうしない。

栗城 そうですね。よく「苦しくないですか?」って聞かれるんですが、もちろん苦しいです。「なんでそんなことするんですか?」とも言われます。恐らくどんなスポーツも同じだと思うんですが、苦しみとか困難が強いほど、その目標を達成した時の喜びや学びってすごく大きいんだと思います。僕は、エベレストへ登頂していませんし、凍傷で指を切断してしまいましたが、すべての困難が生きることの原動力になっています。だからこそ、「困難は悪いことではない」と、断言できます。

小松 栗城さんの著書には、エベレストでのチャレンジが克明に綴られていますね。エベレストの山頂付近では途轍もなく強い風が吹く。それで吹き飛ばされたら、一瞬にして命を失ってしまう。その風を押して登って行かなければならない。

栗城 風はまるで生き物のように迫ってきます。山における風の本当の恐怖は、吹雪いていることではなく、一番怖いのは風が止む瞬間なんです。よく「息をする」と表現するんですけど、ほんの一瞬風が弱くなった時に、気がゆるんでしまうですね。その次の瞬間に吹く風にドンと押されたら、滑落して終わりです。

小松 風が強く、酸素も薄くなり、一歩に時間がかかり、思考することすら難しくなる。天候が悪ければ下山を決断しなければならない瞬間が出てきますよね。「生きて帰るのか、このまま登って、命を落とすのか」という分水嶺の瞬間が、実際にあるのですね。

栗城 はい、そうです。凍傷になった2012年のチャレンジのことは、その過程を鮮明に覚えています。明らかにこのまま進めば命を落とすと思い、引き返すことを決めました。

小松 残念だったでしょうね。

栗城 ええ、悔しいです。でも、「生きていれば必ずまたチャレンジできる」と自分に言い聞かせます。それはすごく大切で、死んでしまったらすべてがおしまいです。どんなカタチであれ「生き続ける」ということが何よりも大事。僕は山に大切なことは大きく2つあると思っています。ひとつは目標に向かうこと、そしてもうひとつは、目標に執着しないこと。

小松 いつも栗城さんが仰っていることですね。

「僕は山を登れなくなるかもしれないと思い、そのことが怖かったです(栗城)」

栗城 人間は、目標に近づけば、感情が高ぶりそこに執着しますよ。山で言うと、頂上が近くなるほどに、物凄く執着してしまう。エベレストで事故が多いのは、頂上付近なんです。

小松 ずっと目指し続けた頂きがすぐそこにあるなら、あと少し頑張ってそこへ辿り着きたい、と思いますよね。執着して当然です。

栗城 酸素ボンベが切れそうなのに、頂上まであと1時間だったら何が何でも行きたいと思うし、天気が悪くても頂上まであと100mなら頑張れると思ってしまいます。執着が、危険を見えなくしてしまうんです。でも、その時にきちんと後ろ側を見て引き返すことが、次につながる。「帰る」ということをどれだけ客観視できるかが求められるんです。

小松 栗城さんは単独で登頂するというチャレンジを続けているわけですが、常に様々な判断があると思います。常人であれば、信頼できる仲間たちに相談したいはずです。そこで意見が合えば行動に納得もするし、何よりも安堵できます。でも栗城さんはそれを選ばない。登る時も降りる時も常に一人。そこでは、もう一人の自分と対話するような行為が繰り返されているのですか? それとも何か直観的な感覚が働くのですか?

栗城 僕が登山の時に最も大切だと思っていることは自分を客観視することです。もちろんベースキャンプに仲間もいますが、情報は天候だけをもらい、登るか降りるかっていうのは自分だけで決めているんです。そして最後、降りる時には一言無線で「戻ります」と伝えるんですよ。

小松 仲間の存在を感じながらもアタックの決断は自分で下すわけですね。

栗城 大勢で挑むから冒険が成功するというわけではありません。僕が単独で登る理由のひとつでもあるんですが、グループでいるから安全ではなくて、グループでいるからこそ甘えが生じるという恐怖もあるんです。もちろん、自分がダメな時に皆が助けてくれる、という場合もあります。でも、高山病になるのは個々で違うので、自分が調子悪くても皆が登ると言ったら、自分もついて行ってしまって、結果迷惑をかけるということがあります。

小松 アルピニストは、常にもう一人の自分が冷静に決断を下すというような習慣を日々経験しているんですね。

栗城 その通りですね。

[続く]第三回/「ちゃんと苦しんでいるか」苛酷な挑戦にこそ学びと成長がある

SUPER CEO Back Number img/backnumber/Vol_56_1649338847.jpg

vol.56

DXに本気 カギは共創と人材育成

日本アイ・ビー・エムデジタルサービス株式会社

代表取締役社長

井上裕美

DXは日本の喫緊の課題だ。政府はデジタル庁を発足させデジタル化を推進、民間企業もIT投資の名のもとに業務のシステム化やウェブサービスへの移行に努めてきたが、依然として世界に遅れを取っている。IJDS初代社長・井上裕美氏に、日本が本質的なDXに取り組み、加速させるために何が必要か聞く。
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