Passion Leaders活動レポート
株式会社シーラテクノロジーズ
代表取締役会長
杉本 宏之
写真/阿部拓歩 文/宮本育 | 2020.03.24
株式会社シーラテクノロジーズ 代表取締役会長 杉本 宏之(すぎもと ひろゆき)
1977年生まれ。高校卒業後、住宅販売会社に就職、22歳でトップ営業マンとなる。2001年に退社し、24歳でエスグラントコーポレーションを設立。デザイナーズワンルームマンションの開発を皮切りにプロパティマネジメント、賃貸仲介業、人材派遣業、リノベーションなどと事業を拡大し総合不動産企業に成長させる。2005年12月、名証セントレックス市場に業界最年少で上場を果たす。2008年、リーマン・ショックで急激に業績が悪化。負債191億円を抱え、2009年3月、民事再生を申請、受理される。2010年にSYホールディングスを設立し、グループ7社、売上高200億円を超えるまでに成長。2022年7月に社名を株式会社シーラテクノロジーズ(旧 株式会社シーラホールディングス)に変更。
あなたの人生は、幸福なものですか?
この問いに「はい」と、株式会社シーラホールディングス取締役会長、杉本宏之氏は力強く答えるだろう。しかし、杉本氏の半生は壮絶だった。子どものころ、父親が経営する会社が倒産し、学校の給食費も払えないほど生活は困窮した。唯一の稼ぎ頭だった母親がガンで他界し、残された父子は生活保護で命をつないだ。そして、杉本氏が高校生のとき、事件が起きる。定職に就かぬままでいた父親が、アルバイトを掛け持ちしながら高校に通う杉本氏に金銭を無心してきたことで口論となり、父親が杉本氏を刺したのだ。
それでも杉本氏は、「父には感謝している」と言う。そう思えるようになったきっかけから、この講演は始まった。
「あるご縁で、某養護施設の運動会にご招待いただきました。その際、理事長から子どもたち一人ひとりの境遇を聞きました。育児放棄された子。交通事故で両親を亡くした子。なかには、やむにやまれぬ事情があったんでしょう、おくるみに包まれた状態で施設前に置かれていたという子もいました。
この子たちに何かできないかと、子どもたちが施設を出た後の就職サポートをしたいという話を理事長にしたのですが、『それは無礼だよ』と、ものすごい剣幕で拒絶されたのです。
理由は、一過性のサポートでここにいる子たちは救えない、ということでした。特に、虐待を受けた子は親と同じ人生を歩むことが多いそうです。なので、一生をかけてこの子たち、そして、この子たちの子どもの人生までをも守ってくれるというのなら預けましょうと。そこまで責任を持てますか? と聞かれたとき、僕は何も言えなくなりました」
さらに、400億円の負債に関しても言及されたという。
「『これまでいろいろご苦労があったことは知っています。ですが、ここにいる子たちと比べたら、杉本さんの人生は決して不幸ではなかったと思います。400億円もの負債にしても、これはあなたが好きなことをやって作ったものでしょ?』と。
その通りだと思いました。今こうして自分の人生を歩んでいる。これこそが、両親に幸せに育ててもらった証なんだと気づきました」
自分の不遇を否定されることは、成功を否定されることよりも受け入れがたい。しかし、このとき、杉本氏はすべてを甘受した。その強さがあったからこそ、今日の杉本氏がいるのではないだろうか。
杉本氏が代表取締役社長を務めていたエスグラントコーポレーションは、2008年のリーマンショックの煽りを受け、業績が悪化。400億円の負債を抱えて、2009年、民事再生法の適用を申請、受理された。杉本氏は、その現実を真正面から受け止めた。
「自分に出来ることはすべてやりきろうと腹をくくりました。何ひとつ後ろめたい思いを残さず、堂々と倒れようと。そこまで覚悟が決まると、むしろやる気が出てくるんですよね。もう一度、会社をやりたいと思い立ったんです」
このままでは終われない。このままでは人生を終えられない。
そう思ったとき、真っ先に相談へ向かったのは、債権者や株主の元だった。その中に、サイバーエージェント代表取締役社長・藤田晋氏がいた。
「藤田社長には、僕が民事再生しそうだというとき、相談しにうかがいました。心のどこかでは、助けてくれるんじゃないかという淡い期待を抱いていたのですが、大目玉を食らいましたね。当時の僕はかなり追い詰められていたので、藤田社長からの厳しい言葉の数々に、“この人にも裏切られたのかな”と勝手に逆恨みし、それ以降、連絡をとらなくなったんです。
民事再生の手続きを終えたときのことです。最後に株主名簿を見ていたら、藤田社長が所有していたエスグラントコーポレーションの株がひとつも売られずに残っていました。会社が潰れるのを知っていたのに、1株も売らずにいてくれたんです。
その理由が知りたくて、藤田社長に連絡しました。すると、『最後まで杉本宏之の可能性を信じたんだ。二束三文で売るくらいなら、一か八か、杉本の復活に賭けた。会社は潰れちゃったけどね』と、笑いを交えて言ってくれたのです。
このとき、人生で初めて、悔しさと情けなさで体が震えました。それと同時に、藤田社長の懐の深さに感動し、もう一度、再起すると誓いました」
経営者としての人生しか自分にはない。
改めてそう実感し、かつての債務者や株主から総額27億円の資金が寄せられた。その支援があったことで、現在の復活につながったのである。
■会社は家であり、社員は家族である
エスグラントコーポレーション時代を思い返したとき、一番後悔しているのは、会社はどうなるのかと詰め寄ってきた社員たちに真実を話せず、誤魔化し続けたことだという。
「怖くて言えませんでした。あるとき、なけなしのお金で表彰式をやったときのことです。そこで、『俺たちはどうなるんですか!』と叫びながら、もらった表彰状を床に叩きつけている社員がいました。あのときの思いは、今でも忘れられません」
その苦い体験が、【会社は家であり、社員は家族である。】という、シーラホールディングスの基本理念となって反映されている。
「このときの経験で、会社に一体感がなければ組織としての力を発揮できないと痛感しました。バカにされることもあるんですが、会社を家のように思ってくれたり、社員を家族のように思える、そんな絆で結ばれたら、素晴らしい会社になるだろうと信じ、時代に逆行しますが“脂っこい”社員第一主義に舵を切ったんです」
闘病中の妻と小さな娘がいた社員のために、フレキシブル勤務制度とベビーシッター代補助制度、さらには1親等以内の重度障害補助金制度の導入を決めたほか、社員のモチベーションアップにとさまざまな福利厚生も拡充した。ユニークなのは“雨の日手当”だ。
「新卒の社員から言われたんです。『うちの会社は恵比寿駅から徒歩6分です。会長は車で出社されるので関係ないと思いますが、雨の日に営業マンが革靴で出社するのがどれだけ大変かわかりますか?』と。そう訴える社員が他にもいたんです。そこで、これを改善するのも経営努力のひとつだろうと思い、6月の雨の多い憂鬱な日は、全社員に1万円の“雨の日手当”を支給することにしました」
ほかにも、会社の経営成績を全社員に公開。インセンティブにおいてもわかりやすく示すといったガラス張り経営も行なっている。
「業界でもっとも高いインセンティブにしているので、営業成績がトップの社員は4000万円くらい稼いでいます。経営を明朗化し、努力した人には報いる。社員にも経営者という意識をもってもらい、信頼関係を構築しています」
■自分たちがほしいマンションを創る
今、杉本氏が改めて感じていることは、不況になったとき、真っ先に売れなくなるのは、“あってもなくてもいいもの”だという。特に、1億円を超える高額商品がまったく売れなかった。そのような高額商品への対応を話し合うも、結論を出せないまま、まだ耐えられるのではないかと決断を先送りするうちに、不動産価格が下落。気づいたらときには手遅れになっていたと、当時を振り返る。
これらの経験から、ニーズのあるものをやらなければいけないと感じ、【自分たちがほしいマンションを創る】という理念が生まれた。
「住宅のプロである自分たちがほしいと思えるものをつくれば、お客様にも認めてもらえるはずです。そこで、ニーズのある地域にニーズのあるものをと決めて事業を展開しており、現在、単身者向けマンションに力を入れています。
設計においては、物件ごとにデザイナーを起用し、家賃や広さが手ごろなのはもちろん、タイルの接着剤ひとつにもこだわっています。設備も、入居者専用のジムや、親御さんやお友だちが遊びに来たときに無料で泊れるゲストルームなどを完備したもの、スマホでさまざまな予約や操作ができるIoTを活用したスマートマンションもあります。
明日の生活のために商売するのではなく、本当にいいと自分たちが信じたものをつくり、それを提供する。それが今、入居率99.5%超という実を結んでいるのかなと感じています」
■安心と愛と感動で世紀を超えて永続する
「もうひとつの理念は、【安心と愛と感動で世紀を超えて永続する】です。これもよくバカにされるのですが、こういった経験をしただけに、信じたいと思っているもののひとつです」
特に、愛については譲れないものがあるという。
「皆さんの周りにもいませんか? 理論が破綻していて、滅茶苦茶なことを言ってくるのに、この人のこと好きだなとか、この人のためにやってあげたいなと思える人。その人には“愛”があるんですよね。僕も、社員と対峙するとき、愛をもって接しています。社員に対しても、お客様や取引先とは、愛をもって接するようにとよく言っていますし。そんな関係を築けたら、そこに感動が生まれて、そして、世紀を超えて永続していける会社になると考えました」
新型コロナウイルスの終息が見えない今、多くの人々が不安を抱えている。小中高校の全国一斉休校、相次ぐイベント等の延期や中止など、さまざまな経済活動に甚大な影響を与え、株価は急落。約3年4カ月ぶりに安値を記録するなど、金融市場も大混乱に見舞われている。そのダメージはリーマンショックを彷彿とさせると囁く声も聞こえてくるほどだ。
しかし、こういうときだからこそ、ポジティブに行動すること、そして、挑戦することが大切だと、杉本氏は言う。
「以前、フィリピンの上場企業のトップとお話をさせていただく機会があり、今の日本のマーケットをどう考えているかと聞かれました。ですが、僕は、ネガティブなことしか言えませんでした。
すると、『そんな悲しいことは言わないでほしい。私たちは日本を目指して、東京を目指して、ここまで頑張ってきた。目指してきたものがこんなにネガティブなことばかり言っているのは、本当に悲しい』と。
さらに、『確かに、日本には資源はないが、無形資源がたくさんある。もっともっと皆さん、やれるはずだ』と励ましの言葉をいただいたのです。
そうだなと思いました。我々、日本人は言い訳ばかりして、やっていないことがたくさんあります。
経営は失敗の連続です。ですが、そこにこだわっても意味がない。ポジティブに前向きに仕事をしていけば、未来は変えられる。
何か動き出すとき、僕はフィリピンの方々からいただいた、その言葉を思い出すようにしています。暗い顔をしていたら、誰も寄ってこなくなります。自分の可能性を信じ、自分がやりたいこと、やれると信じたことをやり切ることが大事です。なので、僕はこれからも挑戦し続けていきます」
vol.56
DXに本気 カギは共創と人材育成
日本アイ・ビー・エムデジタルサービス株式会社
代表取締役社長
井上裕美