小松成美が迫る頂上の彼方

第三部

原点を忘れず、目標を明確に持つ。 問われるのはやり切る強さ

元水泳日本代表

松田丈志

写真/阿部拓歩 動画/ロックハーツ スタイリスト(松田丈志)/中西ナオ 衣装協力:ジャケット82,000円(ディーゼル/ディーゼル ジャパン)、パンツ30,000円(リプレイ/ファッションボックスジャパン)、その他スタイリスト私物 | 2017.02.10 | 2017.02.24

小松成美氏と松田丈志氏の対談連載第三部。故郷の宮崎県延岡市への思い、そしてレジェンド北島康介氏の存在について語ります。

元水泳日本代表  松田丈志

小松 世界を舞台に数々の栄光を得た松田さんですが、その原点は故郷の宮崎県延岡市にあると話されますね。

松田 はい。故郷である延岡の恩恵は大きいです。現役中もたびたび地元に戻っていたんですが、その理由のひとつは、地元の人々の応援がエネルギーになっていたからです。自分が力を尽くし結果を出せば、地元で声援を送ってくださる方々の喜びも大きくなる。頑張れるだけ頑張って、もっと喜んでもらいたいという思いが募っていきました。オリンピックでメダルを手にするんだという気持ちの根源にはいつも“延岡”がありました。

小松 松田さんの地元には温水施設のあるスイミングクラブがなく、通っていた東海スイミングクラブは屋根が「ビニールハウス」でできたものでしたね。

松田 ええ、冬は震えながら泳いでいました。けれど、そうした環境を言い訳にはしたくなかった。どこに生まれようと、どんな環境であろうと、努力すれば道は切り開かれると信じていましたから。

小松 久世由美子コーチの下で記録を伸ばし、日本代表に選ばれたことで、潤沢ではない練習環境にも注目が集まり「ビニールハウスのヒーロー」と呼ばれましたね。

松田 僕自身、温水プールで練習できる他の選手を羨むこともありませんでした。スポーツは結果が全て。久世コーチとともにできることをやり切った日々の記憶は、今も消えることがない。どんな状況でも「やればできる」という自信につながっています。

小松 延岡は自然が豊ですね。

松田 延岡の大自然の恩恵は計り知れないです。僕の家のまわりは田んぼばかり。春には田んぼに水がはられ田植えが始まり、夏には青々とした稲が風に揺れて、秋には黄金色に輝く稲穂になります。海の青さも、山の紅葉も素晴らしい。水泳を最初に覚えたのはプールではなく川です。水しぶきを上げ、友達と川に飛び込んで、いつの間にか泳げるようになっていました。日々、自然とともに過ごし、色鮮やかな景色を見ていると心が癒やされましたね。大いなる自然を前にすると、不安な気持ちが四散しました。常に追い込んでいる自分を時には開放できた。「記録が出ないなんて、別に大したことじゃないな」「水泳で駄目でも、生きていけるな」とストレートに思えたんです。

小松 延岡は松田さんの原点ですね。

松田 はい。帰るべき場所があると思えた自分は心に余裕をもてました。挑む勇気とともに心の余裕がもてたのは、目を瞑ると広がる色鮮やかな故郷の光景とそこで過ごした日々のお陰です。

小松 家族、故郷の友人、地元で応援してくれる人々、小学生の頃から伴走してくれた久世コーチ。そこで育まれた絶対に移ろわない自分。そうした価値観を手放さず、松田さんは歩んできのですね。

小松成美(こまつなるみ) ノンフィクション作家。神奈川県横浜市生まれ。1982年毎日広告社へ入社。1989年より執筆活動を開始。代表作に『熱狂宣言』『中田英寿 鼓動』(幻冬舎)『それってキセキ GReeeeNの物語』(角川書店)『イチロー・オン・イチロー ~Interview Special Edition~』(新潮社)『横綱白鵬 試練の山を越えて はるかな頂へ』(学研教育出版)『五郎丸日記』(実業之日本社)ほか多数

小松 自分の原点を知る松田さんは、同時に目指す目標も明確に持ち続けました。その大いなる目標のひとつが「北島康介」さんですね。

松田 2004年のアテネオリンピック、2008年の北京オリンピックで平泳ぎ100m、200mで金メダルを手にした康介さんは、桁違いのスイマーです。水泳界のリーダーであり、僕にとってのヒーローでもある。そういう存在と同じ時代に泳ぎ、ともに日本代表としてあれたことは、これ以上ない幸運です。康介さんという憧れの選手がいたからこそ、僕は上を目指せました。康介さんの栄光を見て、世界と戦いたいと思い続けることができました。

小松 アスリートにとってメダルを取ることがこんなにも重要なのか、黙々と泳ぎ、教えてくれた方ですね。

松田 ええ、感謝しかないですね。康介さん、そしてコーチの平井伯昌先生は、誰も想像しえないほどの大きな目標を描いていたと思うんです。そこに向かって2人で突き進んでいったエネルギーやブレない気持ちは、間近で見ていましたが、すさまじかったですね。途方もない目標でもたどり着けると自分たちを信じ、最後までやりきる強さは、本当に尊敬に値するところだと思います。

小松 ともに助け合って、全力を出しきった。あの4つの金メダルはその結果なのですね。

松田 そう思います。人間ひとりが経験できることは限られているし、アスリートには時間的なリミットもあります。その中で、できるだけ成長や学びのスピードをあげていくには、やり切る強さと、絶対的な信頼を有する人との出会いが不可欠ですね。

小松 自分を見つめる冷静な視点と、定めた目標に突き進む強靭な意志。勝者となるアスリートたちに共通するキーワードです。

松田 自分に向き合うことの大切さは言うまでもありません。そこから逃げたら向かうべき方向も、登るべき頂きも見失うことになりますから。

康介さんという憧れの選手がいたからこそ、僕は上を目指せました(松田)

2012年のロンドン五輪のメドレーリレーチーム。個人種目でメダルを獲得できなかった北島康介氏を目の当たりにし、松田氏は「康介さんを手ぶらで帰すわけにはいかない」とチームを鼓舞し、見事銀メダルを獲得。PHOTO:KISHIMOTO

小松 松田さんは、自分のスタイルを貫く信念をもっています。でも、それは経験によってつくり上げたものですね。

松田 ええ。強くなるには自分の力を付けるしかないと思い込み、ただただストイックに練習して臨んだアテネオリンピックではねかえされ、自分だけの世界では足りないということを学びました。そこからは逆に、専門家や他のコーチに話を聞いたり、チームメイトとも情報の共有をしたりして、さまざまなノウハウや考え方を自分自身に入れて咀嚼し、自分にあったものを取り入れていきました。最初に自分が自身ととことん向き合うことを身につけ、その先に、寛容な心で“情報”や“考え方”を受け入れ、取り入れていきましたね。

小松 リオで活躍した水泳日本代表チームにも、まさにそうした発想があるそうですね。

松田 そうなんですよ。自己の経験、研鑽が一番大切なのは当然なのですが、チームであれば、情報の共有、確かなノウハウを伝えていくことが大事なんですね。今、日本の競泳界はそれがうまくできているんですよ。

小松 それは興味深いですね。個と集団が双方で輝く日本の競泳陣には学ぶところが多いです。

松田 僕自身、4度のオリンピックを経験する中でようやくぶれない自分をつくりあげ、その上でチームメイトのことも思いやることができるようになりました。

小松 徹底的に自分と向き合ってこそ、見えてくる世界があるのですね。

松田 はい、とことん自分自身と向き合えたおかげで、恐いものがなくなりました。どんな瞬間も、体ひとつ、思いひとつ、自分の原点に立ち返ることができます。それは水泳をやって一番良かったことです。そこで培った強さは、これからの人生でも役に立つし、力になると思っています。

[続く]第四回/どっちの道がかっこいいか? 迷ったときは、そう自分に問いかける

SUPER CEO Back Number img/backnumber/Vol_56_1649338847.jpg

vol.56

DXに本気 カギは共創と人材育成

日本アイ・ビー・エムデジタルサービス株式会社

代表取締役社長

井上裕美

DXは日本の喫緊の課題だ。政府はデジタル庁を発足させデジタル化を推進、民間企業もIT投資の名のもとに業務のシステム化やウェブサービスへの移行に努めてきたが、依然として世界に遅れを取っている。IJDS初代社長・井上裕美氏に、日本が本質的なDXに取り組み、加速させるために何が必要か聞く。
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