ヒラメキから突破への方程式

第1次産業から第6次産業へ日本の食を変えた男

株式会社エー・ピーカンパニー

代表取締役社長

米山 久

写真/宮下 潤 動画/渡辺秀太 文/薮下佳代 | 2017.01.25

生産者と直接つながりを持つことで、生産から消費の“流通革命”を起こし、「生販直結モデル」で外食産業に新たな風を吹き込んだ、エー・ピーカンパニー。埋もれた商材の新たな価値を創造しながら、これからの食のあるべき姿をデザインする、新・外食産業ともいうべきビジネスモデルを構築するに至った、その背景に迫る。

株式会社エー・ピーカンパニー 代表取締役社長 米山 久(よねやま ひさし)

1970年、東京都生まれ。不動産業、販売代理店、海外挙式のプロデュース業などを経て、2001年エー・ピーカンパニーを設立。ダーツバーを出店して、飲食業に参入。04年、みやざき地頭鶏専門居酒屋「わが家」を出店。06年、宮崎県に農業法人を設立、自社養鶏場と加工センターを立ち上げる。08年度外食アワードを受賞。11年、自社で定置網漁を開始し、漁業でも第1次産業へ進出。12年9月、東証マザーズ市場に上場。1年後の13年9月に東証1部へと市場変更。現在は15業態173店舗を展開。14年4月には初のファーストフード店舗となるそば業態をオープン予定。著書に『ありきたりじゃない 新・外食』がある。

宮崎県・日南市で自社を含む15の農家と提携し、「みやざき地頭鶏(じとっこ)」を、今までにない低価格で提供。現在、地鶏のほか、牛ホルモンや魚などに範囲を広げ、一貫して生産者と直接つながることで、余分なコストを下げ、今までにない「生販直結モデル」で急成長を遂げたエー・ピーカンパニーの米山社長。

現在は農村漁村での6次産業化にも意欲的に取り組み、その活動は外食産業の枠を大きく越えている。しかし最初は「『いいものを安く仕入れれば儲かる』、そんな浅い考えで産地へとさかのぼって行ったのが正直なところだったんです」と米山社長は言う。いち早く“みやざき地頭鶏”に目をつけ、自分たちが産地と直接取引を、と考えた米山社長は、壮大な事業計画書を手に、宮崎県・日南市の養鶏農場を訪ねた。

「その時実はまだ1店舗の居酒屋しか経営していませんでした。が、“みやざき地頭鶏”に可能性を感じ、『絶対にうまくいく』という確信があったんです。実現性だけを網羅した夢のない事業計画書だと、人の心は動かない。アーリーステージの段階で、100%勝算があって提案することって、ないんじゃないでしょうか。強い思いと情熱を繰り返し提案しました」

その事業計画書と米山社長の熱き思いが地元の人々の心を動かし、「それなら宮崎県・日南市で、養鶏場を始めてみないか」と思いもかけぬ声がかかった。ブランドとしての深みや差別化をはかるなら、「自分たちでやってみなければ」と決断。自社で養鶏場を運営し、孵化から育成、処理・加工、そして販売までを行う仕組みを生み出した。

「実際産地を巻き込んでいけばいくほど生産者の思いに直に触れ、第1次産業の大変さだとか、地域の雇用がなかなか生まれにくいということも知ることになった。消費者やマーケットに近いポジションにいる僕らが、もっともっと産地(=川上)にさかのぼって行くことによって、第1次産業の活性化、地域の活性化につながっていくんだということを発見していった。

売り上げや利益以外の副次的効果だった“社会性”というものが、会社の目的として新たに芽生えた。それが、会社を大きくしていこうという原動力になっていったんです」

自社経営の養鶏場。地元の養鶏農家のアドバイスを受け、土作りから改善していった。

そうして、エー・ピーカンパニーは、単なる外食産業から一歩抜け出し、ブランドを創出していく、マーケティング会社の様相を持つようになる。

「通常の外食産業だと、“お皿の上の表現”というものを伝えたがるけれど、我々が大切にしているのは“お皿の上に来るまでのストーリー”なんです。川上にさかのぼって行ったことによって、生産者の顔が見え、生産・製造の過程を知ることになった。これを徹底的に現場のスタッフに落とし込んでいったら、産地や生産者のこだわりやいろんなストーリーをお客様に率先して伝えてくれるようになっていった。

現場のスタッフを奮い立たせる動機を用意してあげれば、生産者の思いをのせた提案を自主的にどんどん展開していってくれる。それが一番の転機だったと思います」

今まで光のあたることのなかった生産者たちにスポットライトを当てたことによって、私たち消費者は、その素材が持つストーリーを知ることができるようになった。産地と密接に関わるようになって見えてきたことは、他にもあった。

「日本の外食産業は約23兆円。すでに飽和状態で、そのなかでビジネスモデルを考えようとすると、やり尽くされている感がある。23兆円の枠のなかで考えていても差別化できないし、レッドオーシャン的な感じがしたんですね。しかし食産業全体にまで広げると、市場は103兆円規模にまで広がる。その視点で考えると、ブルーオーシャンがそこに広がっていた。

先達を他の業界に探してみると、アパレル業界であれば、いち早く6次産業化に手をつけたのが、ユニクロ。食産業もアパレル業界同様しがらみが多く、今までは6次産業化がなかなか進まなかった。そこで、僕達が食産業の固定概念を破る提案ができれば、もう少し違うことができるんじゃないか。そう考えたんです」

「今年の3月には、初めてファーストフード事業を展開します。そば粉農家と提携し、今まで高級そば店でしか出せなかった国産のそばをリーズナブルに提供することができるようになる。これもまさに『生販直結モデル』を活かした取り組みです。

埋もれている商材や、苦労を重ねているけれども日の当たらない生産者たちは、地方にたくさん存在しています。そこでこれからは、販売チャネルの多様化に取り組んだり、出資や投資をしながら農家さんが背負えないリスクを我々が担うかたちで農業をプロデュースしていったり。

第1次産業にお金を出資するだけでなく、加工から販売、雇用までをも見据えた、6次産業化を目指すことで、半永久的にいっしょにブランドを作っていく。そういった長い目で見たメニュー開発こそが、我々の強みなんです。僕らが第1次産業をデザインして、ブランディングする。

そういうふうに第1次産業をクリエイティブにするプレイヤーというのが、世の中にはまだまだ存在していなくて。我々は常にそういったクリエイターを産地に送り込んで、ブランディングして、世の中に発信していくことが使命なのかなと思っています」

島野浦で漁をする自社漁船「第四十八栄飛丸」にて取材を受ける。漁業資源が2048年までに枯渇してしまうという“2048年問題”を見据えたネーミング。

第1次産業から、日本の食を変えていく。そのビジネス展開は、「97兆円の食産業を2020年に120兆円にする」という国の成長戦略とも連動していくことで、さらなる追い風を受けている。6次産業化を目指し、地域活性を行いながら、これからの食のあるべき姿、未来の外食産業のかたちを作っていくリーディングカンパニーとしてますます注目を集めていくことだろう。

「TPPや貿易の自由化が進んで行く中で、第1次産業はもっと力をつけていかなければ生き残れない。生産者を農業事業者から農業経営者として意識改革していくうえでも、僕らのやっていることはますます大切になっていくんじゃないかと思っています」

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vol.56

DXに本気 カギは共創と人材育成

日本アイ・ビー・エムデジタルサービス株式会社

代表取締役社長

井上裕美

DXは日本の喫緊の課題だ。政府はデジタル庁を発足させデジタル化を推進、民間企業もIT投資の名のもとに業務のシステム化やウェブサービスへの移行に努めてきたが、依然として世界に遅れを取っている。IJDS初代社長・井上裕美氏に、日本が本質的なDXに取り組み、加速させるために何が必要か聞く。
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